お知らせ

<2023/04/27>

【構成員の皆さまへ】新生存権裁判傍聴報告/岡山地方裁判所

 5人の構成員(岡山県支部)からお寄せいただいた裁判傍聴等の所感を掲載いたします。


小松原 航

 4月19日に行われた裁判の傍聴と原告団の報告会に参加した。岡山裁判では裁判官の交代に伴って更新弁論が行われ、原告側から改めて裁判の意義・背景を裁判所側に説明する機会が設けられた。弁護団の明解なプレゼンと、原告の方々の強い想いもあって、次回の裁判では県立広島大学の志賀信夫准教授の証人尋問が叶うこととなり、岡山裁判に追い風の兆しを感じさせる重要な回となった。

 実は私は昨年までこの生活保護裁判のことを知らなかった。初めて裁判を知るきっかけとなったのは、裁判に携わる弁護団の方々との勉強会であった。精神障害当事者が多く利用するグループホームで働く私にとっては、生活保護は身近な制度で、制度利用する方々もまた身近な存在である。そんな生活保護制度にまつわる裁判が全国規模で争われていること、その争点や原告の方々が怒りを覚えている内容を学ぶなかで、私自身も何か力になれたら、と強く感じたことがこの裁判に関わりたいと思った理由である。

 しかし、裁判に対する世間の無関心、その背景にある生活保護制度利用者に向けた冷たい目が険しい壁として社会にあることを知った。さらに衝撃であったのは、裁定を下す裁判官ですら、制度利用者の実情に対して理解が十分と言えないことである。どれだけ原告団が国の生活保護基準引き下げの判断やその根拠の恣意性や違憲性を論理的に説いても「厚生労働大臣の裁量に委ねられる」(名古屋判決)の一言で突き放す態度には怒りを感じた。こうした経過を追っていくなかで私は、この裁判で本当に変えなくてはならないのは、社会に満ちている“空気”であり、原告団もまた、生活保護制度を取り巻く“空気”と闘っているのだと思えるようになった。

 憲法25条にて保障される生存権を護ろうと原告団は闘っているが、その使命は私たちソーシャルワーカーにもある。岡山県は朝日訴訟(人間裁判)が起こった地でもあり、約60年前、ソーシャルワーカーは声を上げるために法廷に立った。今の自分はソーシャルワーカーとして何ができるのか、そのことを考えて行動に移していきたい、そう一層思える口頭弁論であった。


日 衛

 4月19日、岡山地方裁判所で生活保護裁判の傍聴に行きました。傍聴席はいっぱいで関心の高さが伺えました。
 裁判官の交代に伴い原告側より改めて争点の説明から始まりました。

 日本では生活保護受ける権利のある世帯のうち実際に生活保護を受けているのは31%で残りの7割の世帯は生活保護基準以下の生活を送る現状あるのに対して生活保護基準を引き下げることはさらなる貧困のスパイラルにつながること。政策決定のプロセスでも以前まで使用した生活扶助物価指数を使用せず一般家計調査の数字を用いたり、一瞬の物価高だった2008年の時と以降の物価下落した2011年の数字を用いたりして基準を決めるなどの問題があることが話されました。

 生活扶助の引き下げが受給者に与える影響は大きく、交際費や慶弔費などを捻出するために生活費を切り詰める事態になったりそもそも社会参加の機会を奪われたりしています。貧困対策において、「食べることが満たされる」だけでなく、「社会参加も含めたその人らしい生活が保障」されるべきです。

 この裁判は、生存権を守り、安全安心に自分らしく生きるための権利(社会福祉、社会保障)を保持するためのものです。これからも自分ができることをしていきたいと思います。


星 昌子

 私は、2023年4月19日岡山地裁の生活保護費引き下げ違憲訴訟を傍聴してきました。

 私がこの裁判にかかわるようになったのは2021年からです。岡山での生活保護違憲裁判の特徴は精神障碍者に焦点を当てていることです。私の担当している方も生活保護を受給しておられる方が多く、扶助の中でも唯一自分の裁量でやりくりができる生活扶助費は「自分らしく生きる」ために欠かすことができないものです。引き下げありきで後からこじつけたような根拠でこの自分らしく生きるため唯一自己決定できる生活扶助費を引き下げたことはMHSWとして決して容認できるものではありません。

 私は、担当患者さんやその子供さんとともに弁護士や大学の先生に助言をいただきながら陳述書を作成し裁判にも立つ決意をしました。岡山地裁の裁判官に陳述書の申請を行いましたが、口頭陳述は認めてもらえませんでした。弁護団が裁判官と話し合い、4月19日MHSWの陳述内容を県立広島大学の志賀信夫准教授の陳述に含み、志賀先生が証言に立つことが決まりました。

 これまで3度傍聴に行っていますが、大阪地裁が勝訴してから、少しずつ風が変わっているように感じています。大阪高裁では敗訴しましたが、長い闘い、多くのMHSWがこの裁判に関心を持ち主体的にかかわることを期待します。


上村真実

 私は岡山の新生存権裁判の傍聴に2021年から参加を続けています。昨年には県MHSW協会の全体研修会でも本裁判をテーマとして取り上げました。また、私自身も生活保護を利用する当事者の協力を得て裁判所へ陳述書を提出し、裁判官へ当事者の生活の困難さや、事例から考える健康で文化的な最低限度の生活について訴える取り組みをしてきました。

 岡山地裁は今回29回目の口頭弁論でしたが、ほとんどの席が埋まり、これまで傍聴に参加してきた中で一番多かったように思いました。これも原告の方々や裁判を支援する方々の地道な運動や呼びかけの成果だと感じます。

 口頭弁論では弁護団から、基準引き下げの判断過程において厚労省が特異な計算方式を用いた点や生活保護基準部会の検討を踏まえていなかった過程などに過誤欠落があると訴えられました。それに加え、引き下げの影響を受けた原告の生活実態を聴き、現代の貧困概念に沿って、健康で文化的な最低限度の生活が保障されているのか判断してほしいと述べられました。

 生活保護法は憲法25条を具現化したものであり、その基準は日本のナショナルミニマムです。ただ生きていれたら良いのではなく一人の尊厳ある個人として認められ、人との交わりの中で生きていけることが健康で文化的な最低限度の生活なのだと、これまで裁判支援に携わってきた中で強く思います。

 先日の大阪高裁の敗訴判決の内容には憤りを感じますが、それでもこの間、9地裁で原告の訴えを認める勝訴判決が積み上がっています。勝訴判決が積み上がることが社会を変えるきっかけになるはずです。岡山地裁では次回8月の弁論で、原告3名の陳述に加え、県立広島大学の志賀准教授が陳述する予定です。私自身の口頭陳述は裁判官に認められませんでしたが、私は精神科病院のソーシャルワーカーという立場から、当事者の人生の苦難や喜びに寄り添い、生存権を守る運動に発展させていくことを今後も続けたいと思っています。


山川ちづる

 4/19に岡山地方裁判所にて行われた「生活保護費引き下げ裁判」の傍聴をしてきました。
 老若男女50名ほどが傍聴されており、市民の関心の高さも感じました。

 この裁判は憲法25条で保障された「健康で文化的な最低限度の生活」とはどのような生活か?を問われている裁判だと思います。

 2013年から行われている生活扶助費の引き下げは、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する生活保護の根幹を揺るがすものです。原告は、生活扶助費の引き下げの根拠が引き下げありきで作り上げられたものであることを証拠として、ただお腹を満たすことができれば「人として生きている」ことになるのか?現代において「人として生きる」ためには人との交流が欠かせない。そういった交流に使うお金が捻出できない、捻出するために生活費を工面する…それは『節約』ではなく『抑圧』であると原告は主張されていました。

 生活扶助費は、生活保護利用者が唯一自由に使えるお金です。自分らしい生活を実現するために使えるお金が減ることで、利用者は何をあきらめてきたのだろうか…この裁判傍聴をきっかけに、自分が関わるクライアントの顔を浮かべながら「自分らしく生きる」ことについて改めて考えました。

 精神保健福祉士の全員がこの問題に関心を持ち、この裁判にしっかり関わっていく必要を強く感じました。ぜひ、裁判の傍聴に参加してみてください。


[最終更新]2023年5月1日

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